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観ました。原作はもちろん村上春樹『ノルウェイの森』。

直子が療養生活を送る寮がある森、草原の色あいが美しい。
どこか日本離れしているが、これは、村上春樹の
日本的な情念を切り捨てたテキストとも通じ合う。

原作に忠実というより、
原作からインスパイアを受けた映像作品だ。


例えば、冒頭のキズキが目張りした車に中に排ガスを引き込んで
自殺するシーン。
原作ではなぜキズキが自殺したか一言も書かれていないが、
映画ではこの映像を作ってしまうと、なぜ自殺したのだろう?
という疑問が生じる。
私は原作を何度か読み返したが、そのような疑問を持たなかった。
村上春樹の文章は、ひょうひょうとして読みやすいのだが、
本当に書きたいことは本文中に書かれていない。

また、原作のセリフをそのまま映像に落とし込むと、
違和感がある(『海辺のカフカ』のセリフも、何だか違和感があった)。
脚本でカットしたり別の話にしたりして加工したりしているが、
やはり村上春樹の登場人物の会話は、一種の記号というか、
なにが描かれていてなにが描かれていないのか、そういう装置として読むべきで、
例えば風俗小説のように世相を忠実に写し取っているというのとは、異なる。
そういう意味では、かなり刈り込まれ、きざギリギリのところで
成立していると思う。

おそらく村上春樹が描きたかったのは、
永遠に通じ得ない人間の孤独とか、人間のエゴとか、失われた青年期への郷愁とかそういうことで、
その雰囲気と言うか、そのテーマを、監督は映像落とし込んでいると思う。
そうやって読むと、やはりこれは自伝ではなく、作りこまれた小説であることがよくわかる。

よく考えてみれば、ワタナベくんが、20歳そこそこであそこまで人間観察が優れていたり、
20歳ころの男なら当然あるべき性欲の描写も全然いやらしくなかったりして、
体臭や生活感がことごとく消されているが、映像化して俳優がセリフとして話すとその辺がどうしても
ついてきてしまうから、監督としても、原作の持つ雰囲気を
映像化したらああいう世界観だった、ということなのだろう。
松山ケンイチ、菊池凛子の抑制された演技はとてもよかったと思う。
逆に、原作がとても懐の深い世界観だったことが、よくわかる。

原作が隠していた本当の姿を浮かび上がらせ補完し合う意味でいい映画だと思う。

結局、映像化というのは、さまざまな読者がいて、その数だけ解釈があり、監督もその一人にすぎない、
ということなのだから、映画をみて自分の解釈と合わなかった、ということは起こりうる。
しかし、読者の数だけ解釈が存在しうるというのは、原作がそれだけ文学として
読者の心を揺さぶり続けた、深みをもっているということがわかる。

さらっと書かれていて読みやすいのに、なぜ村上春樹の作品は解釈が多様化しうるのか、
今後考えてみたいと思う。
ワインの持つポテンシャルを体感させられた。

一瞬で世界を変えてくれる。

あっさりしているのに、さまざまなうまみを持っている。

家に帰ってさっそく注文してしまった。

追伸:注文したものの一日で飲みきれなくて、

バキュバンで栓をして1日おいてから飲もうと思って

バキュバンの栓をあけたら、

果実のいい香りが一瞬漂い、数秒で消えてしまった。

葡萄のいい香りがした。

幸福な一瞬だった。




人生における成功あるいはゴール。
それは人それぞれだろう。
社会的地位や、財産を築く、他人の尊敬を勝ち得る、
など。
さまざまな成功あるいはゴールがある。
私が考える人生における成功とは、

死ぬときに後悔しないこと
だと考えている。
想像してほしい。
なんだか体調がおかしいな、風邪かな…
程度に考えて放っておいたが数か月たってもよくならず、
医者に行ったときには「手遅れです」
ということは、よくある話だ。
常にそう思っていた方が間違いがない。

死ぬまでにしておきたいこと、と考えれば
くだらない雑事にしばられず、
今するべきことが見えてくる。
それがわからないのは、おそらく死を怖れ
逃げているからだ、あるいは向き合わないからだ。

さて。人生は有限であることをさとった。
であるならば、成功しなければ、人生は無駄である。
もちろん、総理大臣になったり、資産家になったり、
プロスポーツの選手になったりすることだけが成功ではない。
死ぬときに後悔しなければなんでもよいのだ。

まず目標を設定しよう。そして実現しよう。
それには意思の力が求められる。
社会の中で発言を求められる人は、必ず己を律している。
もちろん才能も必要だろうが、成功している人は必ず努力している。
あきらめないことが、唯一の資格だ。
そして、注意深いことも、成功の必須条件だ。
きちんとした仕事ができて初めて周囲から認められる。
そして、小さな仕事もおろそかにしない誠実さが評価される。
サービス業についていると、わかってくる。
他人を観察するように、自分も観察されていることを。

さらに、コミュニケーション能力。
相手を満足させ、自分の味方にするのに必要だ。
同時にコミュニケーションとは、
相手が何を求めているか、
を瞬時に察する能力でもある。
それを鍛えるには、サービス業に一定期間
就くのもよいと思う。

と、書いてきたが、一番やってはいけないのは、
成功するためのハウツー本を読みあさることだ。
自分の体験で学んだことほど尊いことはなく、
読書で得た知識は身に付かない。
逆に、人の体験談を読んで成功したと語る人は、
そんな本読まなくても成功できた
と思って間違いない。
ハウツー本を読みあさり時間を費やすより、
自分のやるべき仕事、立ち位置を客観視し
実行するにはどうしたらよいか考えた方が
周囲から認められる。
逆に、本を読むなら、目的意識を持って選び、
自分に合わないと思ったらさっさと捨てることだ。

最後に。
徳がなければ、人はついてこない。
本をなぜ読むか。その私なりの答え。

なぜ本を読むのか?
知識を得る、自分が知らないことを勉強するために本を読む、
というのが一般的な答えだろう。
だが、インターネットで検索すれば、
本を読まなくても、大抵の疑問は
解決する。

ではなぜ本を読むのか?

その一つの解答と言うか、戦略的な昇華。

本は未知の世界を見せてくれる。
小説を読み、世界がこれまで以上に美しく見えたり、
科学についての本をよみ、自然の神秘に魅せられたり、
と、一問一答からでは得られない、理解する喜びを与えてくれる。
それを得るために、問いを立ててから、読書するというのはいかがだろうか?

例えばTPPについての本を読むとしよう。
TPPとは環太平洋パートナーシップの略語であることは
インターネットですぐわかる。
では、何の目的で設立されたのか?
誰がTPPで得をするのか?
日本の立場はどうなるのか?
私たちの生活には影響はあるのか?
自分はTPPの導入に賛成か反対か?
などなど、ちょっと考えれば、いくつも疑問がわいてくる。
それを調べるつもりで読めば、疑問が解決されれば知識として
身に付くし、もし書いていなければ、調べ方が甘いと
批評することもできる。
もし巻末に参考文献が挙げてあれば、さらに調べることもできる。

小説を読むときもそうだ。
どこが印象に残ったのか、なぜ印象に残ったのか?
これまで読んだ小説とどこが違うのか、
逆に、よくわからなかった箇所、気に入らなかった箇所を
知ることで、自分の好みがわかってきたりする。

その考えに賛成か反対か、意見を求められたときに、
あらかじめ問いをたてておくと、意見をつくりやすい。

あるいは、事故についての本など。
この事故を自分にとって、世界にとっての
教訓あるいは生きていく縁にするにはどうしたらよいか、
など、哲学、宗教に踏み込んで理解したいなど、
そのような問いをあらかじめ立ててから読むと、
より一層記憶に残り、身になる読書になると思う。

問いを立てるということは、答えを探す営みであるし、
問いと答えの形は、その本を読んだことがない人にも
理解してもらいやすいという利点がある。

本をなぜ読むのか?
その答えを見つけるためには、
自分の疑問に対して、その答えを探すだ。
その疑問は、自分で作らなければならない。
読む前に。
モーツァルト 弦楽四重奏曲 第18番 ト長調

ハイドンセットの第1曲。
第1楽章 冒頭のテーマが調を変えて繰り返し登場する。
モーツァルトらしい、軽やかだが、どこかに悲しみが見え隠れする。
第2楽章 トリオでト短調に転調する。
その部分で、ハイドンにはないすごみというか、デモーニッシュなところが現出する
第3楽章 ハ長調
アンダンテ カンタービレ。自在な歌心。平穏さ。1st Vn.に合せるのが大変そう。
第4楽章 
モチーフを交互に演奏していく。フーガ形式。シンコペーションがモーツァルトらしい。
しかし、どこかでベートーヴェンがこれをまねていたような気がしてならない。
サドヤ シャトーブリアン 2006年に感動したので。
楽天ではもう売り切れていました。

サドヤ シャトーブリアン ミュール

まだ若いワイン、というのが感想。

苦味より酸味の方が強いですね。

何日かおいて飲んでみよう。
英文の読み方 岩波新書

英文を読んで理解できたかどうかは、
その内容を読んだことのない人に正確に伝えられるかどうか。

高校、大学受験などで英文解釈の問題を解いたときなど、
いざ日本語にしてみても、
意味不明な日本語になることはありませんか?
そんな日本語が、誰かに伝わるわけがない。

誰でもわかるように英文を読み理解するにはどうすればいいか、を
丁寧に説いた本です。
ステップ5で翻訳の話が出てきますが、
それは、そういう読み方をした結果として翻訳にいたるという意味だと思います。

きちんと手順を踏んで
(それなりの心構えと注意深さのアンテナを張り巡らしたうえで)
読んでいけば、ここまで英文が読める様になります、という本です。

例文も豊富です。
お勧めの利用法は、訳をみる前に辞書をひいて自分で訳してみること。
そのうえで解説を読むと、全然内容に踏みこめていなかったことがよくわかる。

ちなみに、高校の英文法まできちんと理解していないと、
文法用語もさりげなく出てきますので、
読み終えるのは難しいのではないかと思います。

そして、同時に、日本語で書かれた本であっても、
表面をなぞるような読み方しかしてこなかったことを
自覚させられます。

英文の文化にまで踏み込んで調べるよう、
講義されていますが、それは日本語の文章を
読むときでも全く同
じだな、と反省させられました。
谷に渡してある橋というのは、ゲームのようにちょっとでも足は外したら真っ逆様というのでもなく、踏みしめて歩けば大丈夫というものでもなかった。要は割り箸が二本並べてあるのだ。
昨日の夜、春の風が吹きました。
とても強い風だけど、
その芯に、春の暖かさを含んだ風。

冬の空気の緊張感がない、
冷たくて、温かい風が吹いた。

2011年のあわただしく来た春より、
今年の春の方が待ち遠しいのは、
なぜだろう。

一日一日、春が近づいてきます。


悲しいとき
怒っているとき
泣きたいとき

私は水を飲む。

0時を過ぎたときだけ飲める
特別な水を
私は飲む。

白く照らす蛍光灯の下、
私はうつわに唇をつけ
真っ黒い水を飲み干す。

私は気付かない。

私が影になっていることを。

私が黒い水に吸い込まれてしまったことを。